『百人一首』の成立! --高校生向け授業--

2017.10.19 国文学科

 

こんにちは。国文学科の中周子です。

国文学科では、毎週1回、樟蔭高校生向けの授業を開講しています。

私が担当した授業の様子をご紹介しましょう。

今回は、『百人一首』成立についての授業です。

 

img-3.jpg

さて、『百人一首』といえば、「かるた」ですね。

まずは、『百人一首』カルタの中でも、最も美しいと言われる「光琳かるた」を見てもらいました。

もちろん複製です。でも綺麗ですよ!

尾形光琳は江戸中期の画家ですが、蒔絵や染織などの工芸でも独特の意匠、

後に琳派の系譜を生んだことで有名ですね。

 

 

 図柄も凝っていて、文字も美しいかるたなので、遊ぶためではなく、おそらくは美術品として

鑑賞用だったと言われています。

このかるたの特徴は、普通は文字だけの取り札にも、歌にちなむ絵柄が描かれていることです。

例えば、山辺赤人の歌とされている

「田子の浦に打出でて見れば白妙の富士の高峯に雪はふりつつ」

の取り札は、ふつうは、文字ばかりの

「ふぢのたかねにゆきはふりつつ」ですが、

光琳かるたでは、真っ白い雪を頂く美しい富士山の図柄が描かれているのです。

大学のゼミでは、この複製カルタを使ってカルタ大会をしたことがあります。

みんな、汚さないように、と気を付けて、そおっと取っていたのが印象的でした。 

img4.jpg

さて、授業では、『百人一首』の成立についてお話しました。

『百人一首』は、もとは「かるた」ではありませんでした。

撰者といわれている藤原定家の日記『明月記』には、こう書かれています。

定家は、息子の為家の妻の父親(蓮生)に依頼されて、

蓮生の嵯峨の別荘の障子(現在の襖)に貼る色紙型に和歌を書いたというのです。

それが『百人一首』の原型だったという説が信じられています。

ですから、『百人一首』は、「小倉山荘色紙和歌」や「小倉百人一首」

という別名でも呼ばれるのですね。

定家の選んだ秀歌は、歌人達の興味を引き、歌人が学ぶべき秀歌として、

書物になって伝えられてゆきます。

それが、「貝合」や「かるた遊び」と合体して、「百人一首かるた」となって

現在に至っているのです。

しかし『百人一首』の成立は、未だ数々の謎に包まれています。

でも、そこが面白い所。

10月21日と22日の学園祭では、国文学科の学生たちで結成している

「知るも知らぬも百人一首」

というグループが『百人一首』が現代文化に与えた様々な影響についての

展示をします。

もちろんカルタ大会も行います!

ぜひ見に、遊びに来て下さいね。

 

大阪樟蔭女子大学 学科ニュース

DEPERTMENT NEWS
各学科に関する最新ニュースやお知らせを配信!

アーカイブ

RSS 1.0 2.0 読者登録

ページトップへ